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ふうかちゃんとのことを思い出しながら書いていたら、少し長くなりました。
お時間のあるときに、ゆっくり読んでいただけたらうれしいです。
お時間のあるときに、ゆっくり読んでいただけたらうれしいです。
ふうかちゃんは、人に分かりやすく甘えるような子ではありませんでした。
名前を呼んだら、
しっぽを振って駆け寄ってくるわけでもない。
おもちゃを見せても、ほとんど興味を示さない。
怒っていることは分かりやすいのに、
うれしいとか、楽しいとか、そういう気持ちは、あまり表に出さない子でした。
名前を呼んだら、
しっぽを振って駆け寄ってくるわけでもない。
おもちゃを見せても、ほとんど興味を示さない。
怒っていることは分かりやすいのに、
うれしいとか、楽しいとか、そういう気持ちは、あまり表に出さない子でした。
だからこそ、
今でも忘れられないことがあります。
まだ、認知症の症状が出る前のことです。
自宅で暮らすようになってからも、お手入れをするために、ときどきふうかちゃんを連れてシェルターへ行っていました。
ふうかちゃんには噛みつきがあったため、外のトリミングサロンでは、お手入れをお願いできないこともありました。
それでも、顔まわりのお手入れは難しく、ふうかちゃんにとっても、担当してくださる方にとっても危険がありました。
それからは、シェルターでお手入れをするようになりました。
シェルターには、以前からふうかちゃんのお世話をしてくれていたボランティアさんたちがいます。 ふうかちゃんにとっては、みんな知っている人です。
ところが、ある日。
ふうかちゃんが、初めて人見知りをするような様子を見せました。私のところへ来て、
「抱っこ、抱っこ!」
「抱っこ、抱っこ!」
そんな感じで、自分から甘えてきたんです。
ふうかちゃんが、自分からこんなふうに気持ちを伝えてくることは、それまでほとんどなかったから。
少しは私のことを、安心できる人だと思ってくれたのかな。
そう思うと本当に嬉しかったです。
その後、動物病院でも似たことがありました。
診察台の上から、逃げるように私の胸に飛び込んできたこともありました。
普通なら、怖がっている姿を見てかわいそうと思う場面なのかもしれません。
でも私は、飛び込んできたふうかちゃんを抱きながら、「私のところに来てくれた」ということが、ちょっと嬉しかったです。

まだ元気だった頃のふうかちゃんは、人と積極的にコミュニケーションをとりたい子ではありませんでした。
当時はまだ抜歯をする前で、
歯もたくさん残っていました。
本気で噛まれると、手に穴があくほどでした。

口元を触られることも嫌いだったので、歯磨きも簡単にはできませんでした。
もともと歯の状態は良くありませんでしたが、さらに少しずつ悪くなり、その後、悪くなった歯をたくさん抜くことになりました。
でも歯が少なくなったので、
噛まれても、以前ほど怖くはなくなりました。
お散歩へ行くために、ハーネスやリードをつける。
普通なら数分で済むようなことも、ふうかちゃんの場合は、ひと苦労でした。
だからこそ、そんなふうかちゃんが、自分から私のところへ来てくれることが、本当に嬉しかったんです。
噛まれても、以前ほど怖くはなくなりました。
お散歩へ行くために、ハーネスやリードをつける。
普通なら数分で済むようなことも、ふうかちゃんの場合は、ひと苦労でした。
だからこそ、そんなふうかちゃんが、自分から私のところへ来てくれることが、本当に嬉しかったんです。

思いきり走ったり、まっすぐ走ったりすることもできませんでした。
保護された時から、歩くと身体が少し斜めになり、足を引きずるような歩き方をしていました。
ほかのわんちゃんたちとのお友だちづくりも、あまり得意ではありませんでした。
シェルターやドッグランで、みんなと一緒に元気いっぱい走り回る、というようなこともできませんでした。
その公園には池があって、
カモさんが泳いでいます。
あるとき、ふうかちゃんがそのカモを見つけて、
突然、
「ゥー、ワンワン!」
ものすごい勢いで吠え始めたんです。
闘争心いっぱいの顔だけど、
どこかちょっと楽しそうにも見えました。
「あ、こんな顔するんだ」
って、思ったのを覚えています。
病気や身体のこともあって、できないことも、苦手なこともたくさんありました。
それでも、外の空気を吸ったり、いろんな匂いを嗅いだり、カモを見つけて思いきり吠えたり。
ふうかちゃんは、ふうかちゃんなりに外の世界を楽しんでいたんじゃないかな、と思います。
今でも、あのときの顔を何度も思い出します。
そうして一緒に暮らしているうちに、ふうかちゃんも少しずつ年を取っていきました。
そうして一緒に暮らしているうちに、ふうかちゃんも少しずつ年を取っていきました。
突然興奮する。
パニックになる。
もがく。
吠え続ける。
平衡感覚も、だんだん不安定になりました。
「どうしてそこへ入ったの?」
と思うようなところへ何度も入り込んでしまいました。
出られなくなって、またパニックになる。
それを何度も繰り返しました。
だんだんつかなくなっていきました。
夜中に目を覚ますと、そのまま早朝まで、声が枯れるほど吠え続ける日もありました。
昼夜逆転です。
きっと、分かっていなかったんじゃないかなと思います。
体力の限界を超えても動き続けました。
ほんの少し目を離した間に、
本当に片時も目が離せなくなりました。
トイレへ行くのも心配。
お風呂に入って、ほんの少し目を離すのも心配。
どうにか体を傷つけないようにと
靴下を履かせたり、
サポーターを使ったり、
サポーターを使ったり、
手足を保護するものをつけたり。
かといって、
動けないようにしてしまうこともできません。
抱きしめたり、
あやしたり、
なだめたり。
やっと落ち着いたかなと思ったら、
また激しく動き始める。
そんな夜が、毎日続きました。
そんな夜が、毎日続きました。

家族にも協力してもらいながら、交代でふうかちゃんのお世話をしてきました。
それでも、この2年ほどは、まとまって眠れる日はほとんどありませんでした。
夜中に発作が始まる。
ふうかちゃんをなだめる。
やっと眠ったと思ったら、
下痢や嘔吐の匂いで目が覚める...
夜中に、何度もうんちまみれになってしまうこともありました。
身体を拭く。
汚れがひどければ、身体を洗う。
寝床を取り替える。
ようやく終わったと思ったら、
また少しして同じことが起きる。
多いときは、深夜から早朝にかけて4回ほど。
気づけば、朝5時。
一睡もできないまま、朝になった日もありました。
一晩だけなら、がんばれます。
数日だけなら、まだ何とかなる。
でも、いつまで続くのか分からない。
それが、老犬介護のつらさのひとつでした。
何日も続くと、自分の身体にも気持ちにも、少しずつ余裕がなくなっていきました。
「このままだと、自分も倒れるかもしれない...」そう思ったこともありました。
私にとって、老犬介護で特につらかったのは、ふうかちゃんも、私も、眠れない夜が続くことでした。
自分が眠れないことも、もちろんつらい。
でも、眠れないまま、落ち着かずに動き続けるふうかちゃんを見ているのもつらかった…
少しでも声が聞こえたり、
動く気配がしたりすると、すぐに飛び起きて、
抱き上げたり、なだめたりしていました。
今夜は、ふうかちゃんが少しでも穏やかに眠れますように。
発作が起きませんように。
発作が起きませんように。
毎晩そう思いながら、
ふうかちゃんの隣で横になっていました。
そんな毎日だったので、介護をしていた頃は、ブログを書く余裕もほとんどありませんでした。
それでも、ふうかちゃんを気にかけてくださっている方に、最近の様子をお知らせしたい。
応援していただいているお礼も言いたい。
ずっと心の中で思っていました。
でも、その日一日を過ごすだけで精一杯でした。
何をしてほしいんだろう…
どうしたら、少しでも穏やかに過ごせるんだろう..
どうしたら、少しでも穏やかに過ごせるんだろう..
分からないことばかりで、
苦しい夜もたくさんありました。
言葉ではうまく伝えられないくらい、大変な夜もありました。
きっと、一番苦しかったのはふうかちゃん自身だったと思います。
だから、そのときのふうかちゃんにできることを、できる限り続けたいと思っていました。
家族に協力してもらえたことも、とても大きかったです。一人だったら、ここまで続けることはできなかったと思います。
みんなに助けてもらいながら、ふうかちゃんとの毎日を続けてきました。
そして…
ふうかちゃんの病状も少しずつ変わっていきました。
以前はあれほど元気に吠えていたのに。その声が、だんだんかすれていきました。
そして、ほとんど聞こえなくなりました。
後ろ足が使えなくなると、
その車椅子でも歩けなくなりました。
今度は前足だけを使って、
ぐるぐる、ぐるぐると回るようになりました。
それもだんだんできなくなり、前足も使えなくなっていきました。
光と影は分かっているようにも見えました。
最後は、寝たきりになりました。
最終的に3キロ台まで減りました。
半分以下です。
身体をなでると、
骨が手に当たるようになりました。
以前とは、まったく違う身体でした。
毎日輸液をしながら、ほとんど一日中、ふうかちゃんのそばにいるような生活になっていきました。
以前とは、まったく違う身体でした。
毎日輸液をしながら、ほとんど一日中、ふうかちゃんのそばにいるような生活になっていきました。
それでも、ふうかちゃんにとって最後まで続いたことがあります。
食べることです。
膵炎の症状がひどいときは、食べても吐いてしまうことを繰り返しました。
食べることです。
膵炎の症状がひどいときは、食べても吐いてしまうことを繰り返しました。
認知症などの影響で、口元に食べ物を持っていくと、反射的に口を開けていたのかもしれません。そこは、ふうかちゃんにしか分かりません。
でも、ごはんを口元へ持っていくと、口を開けてくれました。
口を開けてくれたときに、
一口ずつスプーンでゆっくり食べさせていました。
「食べる意思があるうちは、まだ生きようとする力がある」
そんな話を、何度か聞いたことがありました。
今日はこれを食べた。
今日はこれなら食べられた。
だから、ふうかちゃんが少しでも食べてくれると、それだけでほっとしました。
だから、ふうかちゃんが少しでも食べてくれると、それだけでほっとしました。
できることが一つずつ減っていく中で、
「今日も食べてくれた」ということが、私にとってすごく大きなことになっていきました。
自分からお皿に頭を突っ込むようにして、ごはんを欲しがることもありました。
そんな姿を見ていると、
「まだ食べたいんだな」と素直に思いました。
本当の気持ちは、
ふうかちゃんにしか分かりません。
それでも、食べている姿を見るたびに、
「まだ生きようとしているのかな」
そう思えて、少しだけ安心できました。
ふうかちゃんの身体に、それまでとは少し違う変化が出てきました。
私も、その頃にはなんとなく感じていました。
もしかしたら、
もしかしたら、
「本当に、お別れの時間が近づいているのかもしれない...」






























